自分の感覚を信じるって、
正しいと信じ込むことじゃなかった
自分の感覚を信じよう。
自分の気持ちを大切にしよう。
そんな言葉を聞くと、以前の私は、
自分の感覚に自信を持てるようになることが必要なのだと思っていました。
自分が感じたことは正しい。
自分が選んだことは間違っていない。
そう思えるようになれば、もっと自分を信じられるようになるのかな、と。
でも、実際には、自分の感覚がいつも正しいと思えるわけではありません。
なんとなくこっちがいいと思っても、本当にこっちでいいのかな、と迷うことがある。
何かに惹かれても、もっといいものがあるんじゃないかと思うこともある。
自分ではこうしたいと思っていても、人の意見を聞くと、気持ちが揺れることもあります。
そんなとき、どうすれば自分の感覚を信じられるのでしょうか。
最近、自分の感覚について考えるなかで、私は少し違うことに気づきました。
自分の感覚を信じるというのは、自分が感じたことは
絶対に正しいと信じ込むことではなかったのかもしれません。
自分の感覚を、正しいと証明しようとしていた
自分の感覚を信じようと思うと、
私はその感覚が正しいかどうかを確かめたくなっていました。
どうして、これがいいと思ったんだろう。
本当に自分に合っているんだろうか。
この選択で間違いないんだろうか。
そんなふうに、理由を探そうとしていたんです。
理由が見つかれば、安心できる。
誰かも同じことを言っていれば、自分の感覚は間違っていないと思える。
反対に、理由が分からなかったり、
周りの人と意見が違ったりすると、自分の感覚に自信が持てなくなる。
でも、よく考えてみると、理由を説明できることと、
自分が本当にそう感じていることは、別のことなんですよね。
たとえば、何かを見て「これ、好きだな」と思ったとします。
どうして好きなのか、うまく説明できない。
でも、好きだと感じていることは分かる。
そのとき、好きだという気持ちまで疑わなければいけないのでしょうか?
もちろん、好きだと思ったものが、自分にとって最善の選択かどうかは、また別の話です。
でも、今の自分がそれを好きだと感じていること自体は、理由が分からなくても存在しています。
私はそこを、混同していたのかもしれません。
自分の感覚を大切にするために、その感覚が正しいと証明しようとしていた。
でも、証明できなければ受け取れないのだとしたら、いつまでも自分の感覚を信頼することは難しいままです。
そして、そう考えたとき私は普段、
自分の感覚をすでに当たり前のように信頼している場面があることに気づきました。
私は、すでに自分の感覚を信頼していた
たとえば、食事をしているとき。
お腹がいっぱいになってきたら、もう十分だなと感じる。
好きなものを食べているときは、おいしいなと感じる。
反対に、あまり食べたいと思わないものは、無理に食べようとは思わない。
そんなふうに、自分の身体の感覚をもとに、自然と選んでいることがあります。
そのたびに、「本当にお腹いっぱいなのかな」「食べないという判断は正しいのかな」と、
誰かに確認する必要はありません。
自分がどう感じているかを、そのまま受け取っているんですよね。
もちろん、身体の感覚も、いつもすべてを正確に教えてくれるわけではありません。
でも、少なくとも、自分がどう感じているかを知るために、
毎回、外側の誰かに答えを求める必要はありません。
それなのに、仕事や将来のこと、人間関係などになると、
急に自分の感覚が信じられなくなることがあります。
「これが好き」と感じても、もっと正しい選択があるのではないかと考える。
「やってみたい」と思っても、実現できるかどうかを先に考える。
自分の感覚を受け取る前に、それが正しいかどうかを判断しようとしてしまう。
身体の感覚は自然に受け取れているのに、
自分の考えや望みになると、途端に信用できなくなってしまう。
そんな違いがあったんです。
では、どうして自分の中から生まれた考えや望みは、
身体の感覚と同じようには受け取れなかったのでしょうか?
自分から生まれたものには、根拠が必要だと思っていた
私は、自分の中に浮かんできた考えや想像を、あまり大切にしていませんでした。
自分が考えただけのこと。
自分が想像しただけのこと。
それが本当に正しいのかも分からないし、実際に現実になったわけでもない。
だから、価値がないように感じていたんです。
たとえば、何かをやってみたいと思っても、
実現できる見込みがなさそうだと感じると、すぐに取り下げてしまう。
好きなものがあっても、それを好きでいることに意味があるのかと考えてしまう。
自分の中に何かが生まれたら、受け取るより先に、
現実的かどうか、正しいかどうかを判断していたんですよね。
その一方で、誰かが「こうしたほうがいい」と言っていると、
その言葉には自分の考えよりも価値があるように感じることがありました。
自分の考えには根拠がない。
でも、知識のある人の言葉には根拠がある。
だから、外側の答えを信頼しようとしていた。
けれど、どれだけ情報を集めても、最後にそれを受け取るかどうかを決めるのは自分です。
誰かの意見に納得することもあれば、何となく違うと感じることもある。
その違いを感じているのも、自分なんですよね。
そう考えると、自分の感覚を信じるために必要だったのは、
何でも正しく判断できる自分になることではなかったのかもしれません。
自分の中に生まれたものを、根拠がないという理由だけで、最初から価値のないものとして扱わないこと。
そこから始めてもよかったのだと思います。
そして、エイブラハムの教えに触れるなかで、
感覚を大切にするということについても、少しずつ考え方が変わってきました。
エイブラハムの教えで、感情はひとつの手がかりだった
エイブラハムの教えでは、自分の感情は、
望んでいることとの調和を知るための手がかりとして語られています。
何かを考えたり、想像したりしたときに、気分がよくなることもあれば、重たく感じることもある。
そうした感情に目を向けることで、
今、自分がどんな考えに意識を向けているのかを知ることができる、という考え方です。
以前の私は、この話を実践しようとすると、
いい気分になれる考えを見つけなければいけないように感じていました。
ネガティブな気分になったら、考え方を変えなければ。
気分がよくなる考えを探さなければ。
そんなふうに、感情まで正しく扱おうとしていたんです。
でも、今は、もう少し自然に考えてもいいのかもしれないと思っています。
何かを想像して楽しくなったなら、楽しいと感じていることを受け取る。
何かに違和感を覚えたなら、違和感があることに気づく。
その感情を、すぐに正しいか間違いかと判断する必要はありません。
もちろん、気分がよいからといって、目の前の選択が必ず正しいと決まるわけではありません。
不安があるからといって、その選択が間違っているとも限りません。
ただ、自分がどう感じているのかを知るための手がかりにはなります。
そう考えると、エイブラハムのいう「いい気分でいる」ということも、
無理やり気分を変えることではなく、自分の感情に気づき、
少しでも心地よく感じられる考え方を探していくことなのかもしれません。
では、自分の感覚を手がかりにすることと、
その感覚を絶対に正しいと信じ込むことは、何が違うのでしょうか。
自分の感覚を信じることは、正解を決めつけることではない
「自分の感覚を信じよう」と考えると、
自分が感じたことを疑ってはいけないような気がするかもしれません。
一度、こうしたいと思ったら、その気持ちを貫かなければいけない。
自分の直感に従ったのだから、間違っていたとしても、そのまま進まなければいけない。
でも、そう考えると、今度は自分の感覚に縛られてしまいます。
自分の感覚を大切にするというのは、最初に感じたことを、
絶対に変えてはいけないということではないと思うんです。
そのときは好きだと思ったけれど、実際に経験してみたら違った。
やってみたいと思ったけれど、今は別のことに興味が移っている。
最初はしっくりきていた考えが、時間が経つにつれて、違うように感じられる。
そんなこともあります。
そのとき、「最初に感じた自分が間違っていた」と考えなくてもいい。
そのときの自分は、そう感じていた。
そして、経験したことで、新しく分かったことがある。
それだけなのかもしれません。
自分の感覚を信じるというのは、未来の結果まで正確に言い当てることではありません。
自分がどう感じているのかを、まずは自分にとって大切な情報として受け取ること。
そして、その感覚をもとに選び、実際に経験しながら、必要であればまた選び直していくこと。
最初から正解を知っている必要はないんですよね。
まとめ|自分の感覚を、すぐに正解か不正解かで判断しなくてもいい
自分の感覚を信じようと思うと、以前の私は、
自分が感じたことが正しいと確信できるようにならなければいけないと思っていました。
でも、自分の感覚を信じるということは、
何でも正しいと信じ込むことではなかったのかもしれません。
何となく好き。
これをやってみたい。
今は気が進まない。
そんな感覚が生まれたとき、理由が分からなくても、まずはその気持ちを受け取ってみる。
エイブラハムの教えのように、感情を自分の望みとの調和を知る手がかりとして見てみることもできます。
ただし、感情だけですべてを決めるのではなく、
実際の状況や経験も踏まえながら、自分で選んでいけばいい。
自分の感覚を絶対的な正解にする必要はありません。
一度選んだことを、変えてはいけないわけでもありません。
まだ正しいかどうか分からなくても、自分がどう感じているのかを大切にすることはできます。
誰かの意見を聞いてもいい。
新しい情報を得てもいい。
そのうえで、自分はどう感じるのかに戻ってくる。
自分の感覚を信じるというのは、いつも正しい自分になることではなく、
自分が感じたことを、最初からなかったことにしないこと。
今は、そんなふうに思っています。