他人の目が気になる思考を、なくそうとしなくてもいい
人からどう思われるか、気になってしまう。
何かをしようとするとき、相手がどう受け取るかを考えてしまう。
失敗したらどうしよう。
迷惑だと思われないかな。
こんなことをしたら、変に思われるんじゃないかな。
そんなことを考えているうちに、最初にやりたいと思っていたことが、だんだんできなくなってしまう。
私は、そんな自分を変えたいと思っていました。
もっと人の目を気にしないようになりたい。
他人の評価に振り回されないようになりたい。
自分の気持ちを大切にできるようになりたい。
そう思っていたんです。
でも、最近になって、少し違うことに気づきました。
そもそも、他人の目を気にする思考は、自分が意図して生み出しているものなのでしょうか?
気にしないようにしようとするほど、気になっていた
他人の目が気になるとき、私はその気持ちをどうにかしようとしていました。
気にしないようにしよう。
もっと自分に自信を持とう。
人からどう思われても平気な自分になろう。
そうすれば、もっと自由に行動できるようになると思っていたんです。
でも、気にしないようにしようと思っても、また気になる。
せっかく気にならなくなったと思っても、
何かのきっかけで、また同じように人の目が気になってしまう。
すると、まだ自分は変われていないんだな、と思う。
もっと自分と向き合わなければいけないのかな。
もっと自分を変える努力をしなければいけないのかな。
そんなふうに考えていました。
でも、ここで少し不思議なことがあります。
そもそも、気にしないようにしようと頑張っていること自体が、
ずっと他人の目を意識している状態なのかもしれません。
他人の目を気にしない自分になろうとする。
そのために、気にしている自分を何とかしようとする。
そうして、また自分の思考が気になり始める。
いつの間にか、他人の目だけでなく、自分の思考まで管理しようとしていたんですよね。
そんなことを考えていたとき、私は、そもそも思考というものは、
自分の意図とは関係なく浮かんでくることがあるのだと気づきました。
自動的に浮かんでくる思考があった
たとえば、何かを始めようと思ったとき。
「これをやってみたいな」
そんな望みが浮かんできます。
でも、そのあとに、
「うまくいくのかな?」
「失敗するんじゃない?」
「そんなことをして、どうするの?」
という考えが浮かんでくる。
誰かに何かを伝えようとするときも、
「こんなことを言ったら、どう思われるかな?」
「嫌な気持ちにさせないかな?」
そんな考えが浮かんでくることがあります。
でも、それは自分が意図して考え始めたわけではありません。
気づいたら、そういう考えが頭の中に浮かんでいる。
望んでいることとは反対の考えが、勝手に出てくることもあるんです。
以前の私は、そうした思考が浮かんでくると、それを自分の判断として受け取っていたのかもしれません。
「失敗するかもしれない」と思ったから、やめておいたほうがいいのかな。
「どう思われるかな」と気になったから、送るのをやめておこうかな。
そんなふうに、浮かんできた思考をもとに、自分の行動を決めていました。
でも、よく考えてみると、思考が浮かんできたこととその思考が正しいことは同じではありません。
「失敗するかもしれない」と考えたからといって、本当に失敗すると決まったわけではない。
「どう思われるかな」と気になったからといって、相手が実際に悪く思っているわけでもない。
まだ何も起きていないのに、私は浮かんできた思考を、現実の予測として受け取っていたんですよね。
そう考えると、他人の目を気にする思考が出てくること自体を
問題にしなくてもいいのかもしれないと思うようになりました。
思考が浮かんでくることと、その思考に従うことは違う
他人の目が気になる思考は、自分が意図して生み出しているわけではありません。
だからこそ、出てこないようにしようと頑張っても、また出てくることがあります。
それなのに、私はその思考をなくそうとしていました。
人の目を気にしないようにしよう。
不安にならないようにしよう。
もっと安心して行動できるようになろう。
でも、そもそも思考が浮かんでくることと、その思考に従うことは別のことだったんですよね。
「どう思われるかな」という思考が浮かんできてもいい。
「失敗するかもしれない」という考えが出てきてもいい。
その思考を消してから行動しようとしなくてもいい。
ただ、そういう考えが浮かんできた。
それだけのこととして、そのままにしておくこともできます。
もちろん、浮かんできた考えを参考にすることが必要な場面もあります。
何かを始める前に、リスクを考えたり、相手への伝え方を工夫したりすることも大切です。
ただ、思考が浮かんできたからといって、必ずそのとおりにしなければいけないわけではありません。
自動的に出てきた思考をなくそうとすることも、それに従うことも、どちらも必須ではなかったんです。
では、他人の目が気になる思考が浮かんできたとき、私はどうすればいいのでしょうか。
そこで、もう一度、自分の望みに戻ってみることが大切なのではないかと思いました。
「それでも私はどうしたい?」と聞いてみる
他人の評価が気になる。
どう思われるか分からなくて、不安になる。
そんなとき、以前の私は、その不安を何とかしようとしていました。
相手に悪く思われないようにするには、どうすればいいんだろう。
安心して行動するには、どう考えればいいんだろう。
でも、今は、そこで別の問いかけをしてみたいと思っています。
「それでも私はどうしたい?」
他人の目が気になっていても、私はどうしたいんだろう。
不安があっても、本当は何を望んでいるんだろう。
そうやって、もう一度、自分の気持ちに目を向けてみる。
たとえば、何かを始めたいと思ったとき。
「失敗するかもしれない」という考えが浮かんできても、
それでも、やってみたいのか。
それとも、今はやりたくないのか。
自分に聞いてみる。
人にどう思われるかが気になっても、
それでも、自分の気持ちを伝えたいのか。
それとも、今は伝えないことを選びたいのか。
自分に聞いてみる。
ここで大切なのは、必ず最初の望みを実行しなければいけない、ということではありません。
もう一度自分に聞いた結果、やっぱり今はやめておこうと思うこともあるでしょう。
ただ、自動的に浮かんできた思考だけで、自分の望みを決めつけなくてもいい。
自分の気持ちを確かめたうえで、自分で選んでいいんです。
他人の目が気になる自分を、無理に変えようとしなくてもいい。
そのままの自分に、もう一度聞いてみればいい。
「それでも私はどうしたい?」
こう考えると、以前は難しく感じていたエイブラハムの
「抵抗を手放す」という話も、少し違った意味で捉えられるようになりました。
抵抗をなくそうと頑張らなくてもいい
エイブラハムの教えでは、望みに意識を向け
抵抗を緩めていくことが大切だと語られています。
以前の私は、抵抗を手放すという言葉を聞くと、
自分の中にある不安やネガティブな思考を、なくさなければいけないように感じていました。
不安にならないようにしよう。
他人の目を気にしないようにしよう。
もっといい気分でいられるようになろう。
でも、そうやって頑張り始めると、今度は「まだできていない自分」が気になってしまいます。
不安になったら、また不安をなくそうとする。
人の目が気になったら、また気にしないように頑張る。
そうして、いつの間にか、思考を変えることそのものに力を使っていました。
けれど、抵抗を緩めるというのは、すべての不安や思考を消すことではないのかもしれません。
「どう思われるかな」と考えてしまう。
でも、その思考が出てきたからといって、必ず答えを出さなければいけないわけではない。
「また気にしているな」と気づいて、そのままにしておく。
そして、自分はどうしたいのかに意識を戻してみる。
そうすることで、思考と戦うことに使っていた力を、少し手放せるのかもしれません。
無理にポジティブにならなくてもいい。
不安が消えるまで待たなくてもいい。
ただ、今より少しでも楽に感じられる考え方へ移っていく。
私にとっての下流は、そんなふうに、思考を無理に変えようとすることから離れていくことなのかもしれません。
まとめ|思考が浮かんできても、自分の望みに戻っていい
以前の私は、他人の目が気になる自分を変えたいと思っていました。
もっと気にしないようになりたい。
他人の評価に振り回されないようになりたい。
不安をなくして、安心して行動できるようになりたい。
でも、最近になって、他人の目を気にする思考は、自動的に浮かんでくることがあるのだと気づきました。
浮かんできた思考を、すべてなくそうとする必要はなかったんです。
「どう思われるかな」と思ってもいい。
「失敗するかもしれない」と考えてもいい。
その考えが浮かんできたからといって、必ず従わなければいけないわけではありません。
そして、思考が出てきても、もう一度、自分に聞いてみればいい。
「それでも私はどうしたい?」
不安があっても、自分の望みを認めていい。
他人の評価が気になっても、自分の気持ちを大切にしていい。
望みを選ぶことと、外側で起こることをすべてコントロールすることは違います。
他人がどう思うかは、完全には分からない。
未来に何が起こるかも、すべてを知ることはできません。
それでも、自分がどうしたいかを聞くことはできます。
思考を消してから進むのではなく、思考が浮かんできても、自分の望みに戻っていい。
自分の中に何が現れるかはコントロールできなくても、その思考だけに、自分の選択を決めてもらわなくていい。
今は、そんなふうに思っています。