自分の気持ちが分からないとき、外側に答えを探していた
「私はどうしたいんだろう?」
そう思っても、自分の気持ちがよく分からないことがありました。
何を選べばいいのか。
どうすればうまくいくのか。
自分にとって何が正解なのか。
考えても答えが出ないとき、私は外側に答えを探していました。
占いやスピリチュアルなセッションを受けたり、誰かの考え方を学んだり。
自分では分からないことも、知識のある人に聞けば分かるかもしれない。
自分には見えていない何かを、誰かが教えてくれるかもしれない。
そんなふうに思っていたんです。
自分のことを知りたい。
自分がどうしたいのか、はっきりさせたい。
その気持ちは確かにありました。
でも、今振り返ってみると、
私はずっと、自分の外側に答えを求めていたのかもしれません。
「どうすればいいのか」を知ろうとしていた
何かに悩んだとき、私はどうすればいいのかを知りたくなりました。
どう考えればいいのか。
どう行動すればいいのか。
どうすれば現実が変わるのか。
自分では分からないから、何かを学ぶ。
もっと理解すれば、答えが見つかるかもしれない。
そうやって、いろいろな方法を探していました。
もちろん、誰かの話を聞いたり、新しい知識を得たりすること自体が悪いわけではありません。
自分では気づかなかったことを教えてもらえることもあるし、何かを知ることで、見える世界が変わることもあります。
ただ、当時の私は、何かを知ることで自分の問題を解決しようとしていました。
自分の中に答えが見つからないなら、もっと外側から情報を集めればいい。
そんなふうに考えていたんです。
でも、どれだけ情報を集めても、また分からないことが出てくる。
新しい考え方を知っても、それをどう実践すればいいのか分からない。
すると、また別の方法を探す。
自分のことを知りたいはずなのに、いつの間にか、自分の外側を探し続けていました。
そして、あることが気になり始めました。
そもそも、私は自分の中にあるものを、ちゃんと見ていたんだろうか。
自分の考えには、価値がないと思っていた
私は、自分で考えたことや、自分の中に浮かんできたことを、あまり大切にしていませんでした。
自分が考えただけのこと。
自分が想像しただけのこと。
自分がなんとなく感じただけのこと。
それだけでは、何の根拠にもならない。
本当にそうなのか分からないし、実際に現実が変わったわけでもない。
だから、自分の中に何かが浮かんできても、それを信頼することができなかったんです。
それよりも、誰かが言っていることのほうが正しそうに感じる。
知識のある人が教えてくれることのほうが、信頼できるように感じる。
自分の感覚よりも、外側から与えられる答えを優先していました。
でも、よく考えてみると、誰かの言葉を聞いたときに、それを納得できるかどうかを感じているのも自分です。
何かを好きだと思うのも、違和感を覚えるのも、自分の中で起きていること。
それなのに、自分の中から生まれたものには価値を感じず、
外側から与えられたものばかりを頼りにしていたんですよね。
そう考えると、私は自分のことを知ろうとしながら、
自分の内側から出てきたものを、あまり信頼していなかったのかもしれません。
では、自分の内側から出てきたものを、私はどう扱っていたのでしょうか。
自分の気持ちが分からないのではなく、受け取っていなかったのかもしれない
自分の気持ちが分からないと思っていた頃、私はもっと深く自分を理解しなければいけないと思っていました。
本当の望みは何だろう。
自分が心から求めているものは何だろう。
どうすれば、自分の気持ちが分かるようになるんだろう。
そうやって、自分の中にある答えを探そうとしていました。
でも、最近になって、少し違う見方ができるようになってきました。
もしかしたら、私は自分の気持ちが分からなかったというより、すでに感じていたものを、
そのまま受け取っていなかったのかもしれません。
「これ、いいな」
そう思っても、理由が分からなければ、その感覚を大切にしない。
「これをやってみたい」
そう思っても、実際にできるかどうかを考えて、現実になりそうにないと思えば取り下げてしまう。
「こうなったら嬉しいな」
そんな想像をしても、実際に起きたことがないからと、なかったことにしてしまう。
自分の中には、確かに何かが生まれていた。
でも、それを受け取る前に、正しいかどうか、実現できるかどうか、価値があるかどうかを判断していたんです。
そう考えると、必要だったのは、もっと答えを探すことではなかったのかもしれません。
自分の中に生まれたものを、すぐに否定せず、まずはそのまま受け取ってみること。
それが、大切だったのかもしれません。
そして、自分の感覚を大切にすることは、外側の情報を遮断することでも、
誰の意見も聞かなくなることでもありません。
外側の答えを、自分の答えにしなくてもいい
誰かの意見を聞いたり、何かを学んだりすることは、これからもあると思います。
外側から得られる情報によって、新しい視点を知ることもあります。
ただ、その情報を受け取ったあと、自分はどう感じているのか。
そこに目を向けることを、忘れないでいたいと思うようになりました。
誰かが「こうしたほうがいい」と言っている。
でも、私はどう感じるんだろう。
誰かが「これが正しい」と言っている。
でも、私は本当にそう思うんだろうか。
すぐに答えが出なくてもいい。
相手の意見に納得することもあれば、違うと感じることもある。
今は分からない、ということもあると思います。
大切なのは、外側から得た答えを、そのまま自分の答えにしなくてもいいということ。
情報を受け取ることと、自分の選択を誰かに委ねることは違います。
外側に答えを探しに行ってもいい。
でも、そこで得たものを自分がどう感じるかは、自分の中にあります。
そして、その感覚を大切にすることも、自分を知るための一つの方法なのだと思います。
では、自分の中に何かが生まれたとき、それをどう扱っていけばいいのでしょうか。
自分の中に生まれたものから、始めてみる
今は、自分の中に浮かんできた考えや、ふと感じたことを、以前よりも大切にしたいと思っています。
もちろん、浮かんできた考えがすべて正しいとは限りません。
なんとなく感じたことが、必ず現実するわけでもない。
でも、正しいかどうか、現実になるかどうかは別に、自分の中にそうした感覚や望みが生まれたこと自体は、確かにあるんですよね。
だったら、最初からなかったことにしなくてもいい。
「私は、こう感じたんだな」
まずは、それを受け取ってみる。
そのあとで、どうするかを考えてもいい。
実現するかどうかが分からない望みでも、今の自分がそう望んでいるなら、その気持ちを認めてもいい。
自分の中に生まれたものを、すぐに正解か不正解かで判断しなくてもいい。
そんなふうに考えるようになってから、自分のことを知るという意味も、
少しずつ変わってきたように思います。
自分の外側にある答えを見つけることだけが、自分を知る方法ではなかったんです。
自分の中にすでにあるものに目を向けること。
そこから、自分を知っていくこともできるのだと思います。
そして、これからは、自分の中に何かが生まれたとき、すぐに答えを出そうとするのではなく、
もう少しその感覚を大切にしてみたいと思います。
まとめ|自分の中にあるものから、始めてみる
自分の気持ちが分からないとき、私は外側に答えを探していました。
もっと学べば、もっと理解すれば、誰かに教えてもらえば、
自分のことが分かるようになると思っていました。
でも、外側から答えを得ようとする一方で、
自分の中に生まれた考えや感覚をあまり大切にしていなかったのかもしれません。
自分が考えただけだから、価値がない。
自分が想像しただけだから、現実にはならない。
そんなふうに、自分の中に生まれたものを、すぐに取り下げていました。
でも、自分の中から何かが生まれたとき、それを最初から否定する必要はなかったんですよね。
まだ正しいかどうか分からなくてもいい。
まだ実現するかどうか分からなくてもいい。
今は意味が分からなくてもいい。
まずは、自分の中に生まれたものを受け取ってみる。
外側から情報を得ることも、人の意見を聞くことも、そのあとでいい。
自分の中にあるものを、なかったことにしない。
そして、必要なときに、もう一度自分に聞いてみる。
「私はどうしたい?」
その問いかけから、自分との関係を少しずつ築いていけるのかもしれません。